
普通という特別
とんかつ 幻水豚(げんすいとん)
総合評価
★いい店だった
「銘柄豚を否定することで得られる、味と価格の新しいバランス」
中村仁
株式会社グレイス
西麻布 豚組 / オーナー
とんかつ 幻水豚(げんすいとん)― 「普通」を軸に据えた一軒
三軒茶屋の少し外れにある。券売機で食券を買うスタイルで、カウンター中心のこぢんまりとした店だ。厨房とホールそれぞれ1人ずつで回せるようにオペレーションが組まれており、無理のない規模感で営業している。
部位の選択肢と盛り合わせ
メニューにはロース、ヒレ、バラ、さらに日替わりでシャトーブリアンやリブロースといった部位も揃っている。2〜3種類の部位を組み合わせた盛り合わせ形式で注文できるため、一度の食事で複数の部位を比較しながら食べられる構成だ。一つひとつのカツのサイズは小ぶりで、その分種類を食べ比べることに重点を置いた設計になっている。
最上位の「上おまかせ」でも2,600円という価格帯は、今どきのとんかつ店のクオリティと照らし合わせると、かなり抑えられている。この価格がどこから来るのかは、後述するコンセプトと深く関係している。
衣と火入れの観察
まず目につくのは衣の色だ。かなり色が薄い。揚げ色があまりついておらず、一見すると低温調理系のとんかつに見える。しかし実際に食べると、想像よりベタついていない。カラッとした食感が残っている。

白い衣でありながらカラッと仕上げるには、2つのアプローチが関係していると考えられる。
ひとつは油の温度管理だ。低温寄りでありながら、衣に余分な水分が残らないような温度帯を探っているのではないか。もうひとつはパン粉の選択だ。店内の説明書きにも記載があるが、糖分を抑えたパン粉を使っている。糖分が少なければメイラード反応が起きにくく、衣は白いまま仕上がる。この2つが組み合わさることで、白くてカラッとした衣が実現している。
肉の火入れは、中まで熱が通りながらも、断面がうっすらロゼ色になる程度に抑えられている。特に赤身であるヒレは、これほどしっとりとジューシーに仕上がるのは、この低温寄りの揚げ方あってこそだと感じた。肉が固くなる一歩手前で止めているような、細かい火加減の調整が見える。
一方で、糖分を抑えたパン粉を使う結果として、衣そのものの甘みはほとんど感じられない。とんかつの衣に期待するあの軽い甘みが少ない分、物足りなさを覚える人もいるだろう。ただそれは、柔らかい肉の食感とカラッとした衣を両立させるための選択の結果であり、方向性としては一貫している。
ソースのほか、醤油、塩、からし、一味唐辛子も用意されており、調味の選択肢で衣の個性の薄さをある程度カバーできる設計になっている。
「普通」を特長にするコンセプトの立て方
店内には「幻水豚」と名付けられた豚肉についての詳しい説明が掲示されている。店の能書きも相当な量で、自分たちのとんかつへの考え方をかなり丁寧に伝えようとしている。
その能書きは「私たちはとんかつ屋ではありません」という一文から始まる。とんかつを売るためにこの店を作ったのではなく、食べ物の本当の意味での「普通」を知ってほしくて開いた、という趣旨だ。
銘柄豚を使っているわけではない。しかし飼育環境、とりわけ水にこだわることで、豚肉はここまで変わると訴えている。「こだわって特別な肉を扱うのではなく、こだわって普通の肉を扱う」という立場だ。
こだわりを前面に押し出す店が増えている昨今、こだわりの方向をずらして「普通であること」を特長として打ち出すという構造は、むしろ個性的と言える。ことさらに「当店はすごい」と主張するよりも、肩の力を抜いた普通を軸に据えるほうが、今の市場では逆に目立つ。コンセプトの立て方として、よく考えられている。
さらにこの「あえて普通の肉」という選択は、価格にも直結している。銘柄豚を使わないことで原価が抑えられ、それが上限2,600円という価格帯を可能にしている。コンセプトと経営上の判断が一体になっており、その点では筋が通っている。三軒茶屋の外れという立地も、過剰な演出を排した店の雰囲気と合っている。
ご飯、キャベツ、接客
ご飯は釜炊きで、カウンターに置かれた釜からよそって供される形式だ。ツヤがあり、炊き具合は悪くない。キャベツは最初に提供され、揚がるまでの待ち時間に食べるスタイルで、ドレッシングも用意されている。ただし、ご飯やキャベツのおかわりについては、スタッフから声をかけてくれることはなかった。1人オペレーションの限界というより、そこまで目が届いていないということだろう。
ともあれ、コンセプト・技術・価格の三つが一本の筋で結ばれた店だ。「普通」を看板に掲げながら、考え抜かれた設計が随所に見える。
印象スコア
店舗情報
とんかつ 幻水豚(げんすいとん)
東京都世田谷区〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋1丁目40−14 太子堂ハイム 102
