未来に残すべき日本の文化遺産
とんかつ とんき 目黒本店
総合評価
★★★★勝てる気がしない
「料理も接客も清潔感も、全てが完璧なとんかつの最高峰」
中村仁
株式会社グレイス
西麻布 豚組 / オーナー
とんかつ とんき 目黒本店。この店の前に立つと、自分の仕事が小さく見える。
目黒駅から歩いてすぐ、長年変わらない外観と行列。武者小路実篤が日本酒と合わせてとんかつを食べた話は有名で、その頃からの歴史を今も店が体現している。老舗と呼ばれる店は多いが、ここは別格だ。僕自身、同業としてではなく、単なる一人のとんかつ好きとして、2-3か月に一度は訪れている。
衣の構造
とんきのとんかつを語るとき、まず衣の話をしなければならない。 パン粉のキメが細かく、そしてとにかく分厚い。こういう衣のとんかつは「とんき派」と言われ、とんかつの中でも一つの流派として認められている。細かなパン粉を二度付けすることでこの衣は生まれるのだが、ただ二度付けすれば同じものができるわけではない。パン粉の選定、液の配合、揚げ油の温度と量、どれか一つでもずれれば崩れる均衡だ。
揚がったばかりのとんかつをカウンター越しに手で掴み、包丁でザクザクと切っていく。その音と動作を目の前で見ることになるが、切り口の断面が均一で美しい。食べるときには衣から豚肉が外れてしまうこともあるが、その豚肉を見るにつけ、とんかつというのは「衣の中で豚肉を蒸す料理」なのだということがよくわかる。
記憶と順番というオペレーション
店内はカウンター主体の配置で、お客は行列していても順番通りには並ばない。カウンター背後のベンチにバラバラに座っている。それでも案内は必ず正確な順番で行われる。 かつては店主の奥様であろう年配の女性が、誰が何番目に来たかを完全に把握していた。「次はあなた」と迷いなく指名する。何十人もの客が入れ替わり立ち替わりする状況で、この精度を維持している。デジタルの補助は一切ない。
代替わりが進んだ現在は、さすがに暗記はできないのだろう、カウンターの中のスタッフが手元でメモを取りながら同じことをやりきっている。先代が身体で覚えていたことを、ノートと集中力で再現している。仕組みとして継承しようとする意志が見える。真似できるかと言えば、できない。才能と訓練の産物だ。
清潔さという仕事
とんかつを揚げる厨房を持つ店で、あの清潔さを維持するのがどれほど困難か、同じ仕事をしていれば分かる。油は飛ぶ。熱は広がる。においは染み込む。にもかかわらず、店内に脂っぽさがない。隅々まで掃除が行き届いている。真っ白でパリッとした印象のまま保たれている。
これは一日の清掃で成立するものではなく、日々の積み重ねと習慣の結果だ。誰かが気を配り続けているということが、空間から伝わってくる。
先回りする接客
ご飯が減ってきたタイミングで、声をかける前におかわりを勧められる。キャベツも同じだ。このお店では、お客さまが「すみません」と声をかける場面がほとんど発生しない。おしぼりは最初と食後に出る。つまようじとお茶のタイミングも、後から考えれば「そう、それが欲しかった」という瞬間に眼の前に置かれる。
接客の教科書に書いてあることをそのままやっているといえばそれまでだが、それを完璧にやるとこういう迫力が生まれるのかと感じる。これを長いカウンターで同時にやりながら、先に述べた順番管理も並行している。理想だと頭ではわかっていても、そう簡単にできることではない。
総体として
料理、清掃、接客、オペレーション。その全てが素晴らしいのだが、それらが全て同じ高さで揃っている。とんかつ店として考えうる要素を一つ残らず丁寧に扱い、どれも手を抜いていない。その全体像が、この店の本当の姿だ。
気になる点を挙げるとすれば、代替わりを経て、かつてあった凄みが薄れつつあるように感じることだ。自分が出会った25年前のとんきと比べれば、物足りなさを感じるのは否定できない。ただ、今の状態であっても、一般のとんかつ店が同じ水準に達することは容易ではない。
デジタル化をほぼ行っていない現在のオペレーションが、どこまで続けられるかは分からない。お会計にPayPayが使えるようになったのは、変えるべきところは変えるという判断が働いている証拠でもあるが、核心の部分、記憶と目配りで成立するあの接客は人に依存している。それが強みであり、同時に脆さでもある。
日本のとんかつという料理が、どこまでの完成度に達しうるかを示している店だ。このお店は日本のとんかつの一つの到達点だ。日本の文化遺産として、できる限り長く続いてほしいと思う。
印象スコア
店舗情報
とんかつ とんき 目黒本店
東京都目黒区〒153-0064 東京都目黒区下目黒1丁目1−2
